ていた家内には、いきなりの先制パンチだった。
「ホールドの点検に行ってくる。ベッドから落ちないようにするんだぞ」
船酔いでダウンしている家内を部屋に残して、私は、貨物(自動車)のラッシング(固縛)の点検に走り回ることになった。さぞや冷たい奴だと思ったことだろうが、たとえ横についていても、船酔いを鎮めてやることはできないのだ。この時から、時化がおさまるまで、家内はベッドにへばりついたままだった。
もっとも、慣れるとは恐ろしいもので、これ以後、家内はほとんど船酔いをしなくなった。けっこう揺れても、部屋で編み物をしたり、その変化には目を見張ったものである。女性のほうが船酔いには強い、というが、それは本当かもしれない。
その後の航海中、家内はギャレー(調理場)で司厨長のお手伝いをすることになった。
慣れないギャレーなので、家内はあまり役に立たなかったかも知れない。しかし、いつも一人で仕事をしている司厨長にしてみれば、話し相手がいるだけでも良かったのではないだろうか。それに、家内も“ただで料理学校へ通っているようなものね”と、喜々として働いたものである。
*****
さて、最初に着いたアメリカの港は、オレゴン州のポートランドだった。
入港は、夕方も遅かったので、その日は荷役がなく、私たちは急いで上陸することにした。大きなショッピングモールを見てまわり、ホテルのレストランで食事をし、スーパーマーケットで買い物をする……。家内にはアメリカ旅行の経験があったが、通常のツアーにスーパーマーケット見物などというコースは含まれていない。巨大なスーパーマーケットの豊富な品揃えと品物の安さに、家内はただただ驚くばかりだった。
カリフォルニア州のロングビーチ(ロサンゼルスの隣港)に着くと、現地駐在船長のH氏が、船長と私たち夫婦を食事に招待してくれた。場所は、港内に係留されている往年の豪華客船“クイーンメリー”。その中の高級レストラン”サー・ウィンストン・チャーチル。である。
「ジャケットとネクタイが必要です。格調の高いレストランですから」
迎えに来てくれたH氏夫妻は、スーツとドレスをぴたりと着こなしていた。イギリスのチャーチル首相をもてなしたというレストランだけに、いわゆる“ドレスコード”が厳しいのである。
落ち着いた雰囲気、豪華な食事、そして楽しい会話……。H氏夫妻の温かいもてなしのおかげで、私たち夫婦は、アメリカの夜を心ゆくまで楽しむことができたのだった。
「今までの接待の中で、あの日の食事が一番高かったんだぞ」
後日、H氏に再会したところ、笑いながらそんな話をしてくれた。まことに、先輩とは有り難いものである。
このようにして、家内の海外便乗はあっという間に終わった。家内にしてみれば、すべてが初めての経験で、楽しみと驚きの連続だったらしい。
「また乗せてもらおうかな」
すっかり味をしめた家内は、早くも次のプランを練っているようである。
(川崎汽船(株) 一等航海士)

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